バリからの報告 3
以下、ネット『ルジャポン・オルグ』での論議の続き――
・6月28日、シュヴァリエが、《日本の文化人宣言》を再度引用して掲示し、南京大虐殺の中国側、連合国側の数字を挙げ、日本の歴史家はそれを誇張と見ていると指摘する。
・これに対して、同日、“調停者スカイダイヴァー”曰く、
「数字がそんなに大事かね? 犠牲者数をどうこう言ったって、虐殺の事実に変わりはないさ。正確な統計数について、日本の政府筋にそれを言う資格はない。連中の誠意など、歴史の先例の上から当てになるものかね。ニッポン兵どもの獣欲に供された、あらゆる国籍(特にオランダ女性とインドネシア女性)の慰安婦にせよ、インドシナでのフランス兵の虐殺にせよ、また米兵(特に飛行士)に彼らが加えた拷問にせよ、彼らの挙げる数字など、みんなデタラメさ。こんな例を挙げたらキリがない」
・同日、ANGAKOK(注 スカイダイヴァーの同調者)、これに応じて、「シュヴァリエよ、何で本プロダクションのこれこれの記事を引用しないのかね?」と指摘。
・同日、シュヴァリエ、これに応じて、
「引用するとも。それらの記事は、(沖縄の)島民からも証言をとらなければならないという意味において、まさにまともに取りあげるべきだ。最近(2007年)の選挙で沖縄は、さんざん強姦と殺人を犯してきた米占領軍に撤退を要請する候補者を選んでいることを忘れるな。いやはや、歴史は単純ならずさ」
・同日、ANGAKOK、再度これに答えて、
「(沖縄の)殺戮地獄からの生存者は言っているじゃないかね。こうした市民は、敵の米兵の手にかかるよりは集団自決せよと日本兵から追い立てられて死んだ、その数は大変なものだってな――。これは動かしようのない事実だ。ま、それにしても、米兵は怪しからぬという言い分を聞くと、シュヴァリエ君もけっこうまともなところがあるな。いつもの御託よりはましだ」
・同日、“調停者スカイダイヴァー”、同じ論議を承けて、
「(沖縄の)米軍撤退は、2006年以来の懸案事項だ。米兵による強姦殺人事件は、幸いなことに稀だし、数も少ない」
・同日、シュヴァリエ、ふたたび応じて、リュマニテ紙1995年9月21日付で報じられた3米兵による沖縄の少女の強姦事件を長々と引用、同島が治外法権下にあると指摘する。
・同日、ANGAKOK、これで3度目の発言:
「10年以上前の強姦事件をたった1件、これが君のやりかたかね? そういうのをディスインフォメーション、またはトローリングというのさ」
・同日、“調停者スカイダイヴァー”、
「この悲しいエピソードは僕も覚えている。(…)仏軍の駐屯するアフリカ諸国でも同様の事件が起こっている」
・このあと、同じ6月28日に、シュヴァリエ、更に長々と沖縄の事件のことに流れて、
「スカイダイヴァー君、話を元へと言うのは大いに結構。問題は、AFPが《日本の文化人宣言》を撒いてくれたのに、フランスのプレスが沈黙していることだ。この沈黙は今や重大だ。なぜなら、日本では、宣言文署名者はどんどん増えている」
・同日、“調停者スカイダイヴァー”、これに応じて、
「日本の国内問題はフランスのメディアに関係ないさ。このことで情報を得ようと思ったら、CNNテレビでも見たほうがましだ。けばけばしいところも多いが、日本についてバランスのとれた番組をやっているよ。まあ、アメリカが日本に関して主役ぶってるのは確かにいただけないがね。日本という国は、フランス人の目に、いつも紋切型の、空想の遠い国だ」
[コメント] “調停者スカイダイヴァー”はこのように下線部分で嘯いているが、これこそ恐るべきディスインフォメーションであり、虚言、傲慢ではなかろうか。「日本の国内問題」が「フランスのメディアに関係ない」どころか、関係大ありであって、フランスのメディアが真実を歪曲して伝えているからこそ日本は歴史的真実の闡明を要請して今回の《日本の文化人宣言》に至ったのである。“調停者スカイダイヴァー”のこの一言はフランスの反日主義者たちの二重の瞞着性――真実を隠し且つフランス公衆を瞞着する――を端的に露呈している。そして「空想の遠い国だ」と言いながら、自分たちのほうが虚偽の日本蔵を定着させているのである。
・6月29日、シュヴァリエがこれに反駁する。
「いかにも、フランスは日本を“考える”。が、視つめてはいないのだ。ジャポニスム(日本趣味)に浮かれようとも、日本を知ってはいない。文学、映画、インターネット、自由な旅行などで、事態はまあ改善されていくだろうが…」
・同日、“調停者スカイダイヴァー”、更に応じて
「小生、案ずるに、早晩改善は望めないだろうよ。大衆が日本に興味を持つに足るものは何だって既に提供ずみだがね。ネットもあれば(我らの“lejapon.org”をはじめ)文学も、映画もある、たしかにね。にもかかわらず、日本は依然として遠い国なのさ。紋切型に捉えられたって仕方のない、従って、興味の中心からは外れた、マージナルな国なのさ」
・同日、シュヴァリエ、また反駁して
「日本孤島論、なお結構。一層の探検に値するということだ」
・同日、東京在住として、ミルモ(Mirumo)なる人士、ここで割りこんで
「(…)僕は、誰も彼も、日本については日本の提供するものしか見ていないと思う」
・6月30日、シュヴァリエ、これを承けて、“慰安婦”についてフィリップ・ポンスが2007年6月30日付ル・モンド紙に書いた記事を伝える。すなわち、
「“アメリカは日本を裁く資格などありはしない。なぜなら、米軍は、皇軍の女郎屋システムをまねて、占領後、日本の内務大臣から警察に慰安所を作るよう指令を出させているからだ”」
・同日、“調停者スカイダイヴァー”、
「そうとも、軍隊あるところ、いつもそれありだ。ただ、根本的に違う点がある。それは、日本の場合(米軍用の慰安所設置)は、一般女性を性奴隷に仕立てたのではなくて、プロの淫売婦を使ったという点だ。売淫行為の善し悪しをこえて、そこには、こうした女郎屋を設置しなければ強姦を避けられないという問題があった。これを日本皇軍の行為に比べるなんて、とんでもない、破廉恥なことだ。皇軍のやったことは、何千人という女性をその家族から拉致して女郎にしたことだから、話は全く別だ。その範囲たるや、若い中国女性から、香港在住のイギリス女性、さらにはインドネシアのオランダ人入植者たちの婦女子に至るまで、そのほか、皇軍の侵略した各地に及ぶほどの広大なものなんだからね。というわけで、日米の慰安婦システムを比較しようたって、どだい無理なことさ。よほど幼稚な反米感情か悪意に駆られているならともかく、でなければ、そんな比較はとんだお笑い種だよ。比較というなら、売淫をやらせた日本側の見かたと、やらされた(強制であろうとなかろうと)旧日本植民地の女たちの感情と、その違いを比較するのが一番だろうよ。客観的な目を持った人間なら、違いは一目瞭然のはずだ。“歴史”の歪曲とは針小棒大の吹聴にほかならない。僕は、問題のその記事(ル・モンドの)を読んではいないが、その考えかたそのものについて言っているつもりだ」
[コメント] 下線部分の「“歴史”の歪曲とは針小棒大の吹聴にほかならない」とは、この論者“調停者スカイダイヴァー”についてこそ当てはまる言葉であろう。質問:彼らにとっての“歴史”とは何か?
・同日、シュヴァリエ、これに応じて
「同じル・モンド紙は、昨年、コソボ紛争について、モルダヴィアやウクライナやロシアの女たちが何千人もアルバニア勢力によって拉致されて、コソボ駐屯の北大西洋条約機構軍に女郎として供されていると報じていた。こうして過去の犯罪に目を向けさせ、現在の犯罪をごまかそうという手口は、しょっちゅうやられていることだ」
・“調停者スカイダイヴァー”、
「行きすぎだよ、それじゃ。はっきりした証拠もなく。要注意だ。主題から完全に逸脱したばかりか、暴走きわまれりだ」
・シュヴァリエ、
「ここにれっきとした一つのドキュメントがある。ル・モンド紙に宛てられた公開状だが、公開されなかった。竹本忠雄教授が書いたものだ。これを参照意見として、いっさい私見を交えず、以下に呈する。
[コメント] …として、2005年4月8日付で、ル・モンド紙の「南京大虐殺」特集に抗議して竹本教授が同紙のコロンバニ会長あてに出した公開状*の全文が引用されている。いわば奇襲攻撃のごときもので、本ブログの全く予期せざるところであったろう。「主題逸脱」どころか、一番の痛打だったのではあるまいか。ブログのプロダクション側では、このあと、大慌てでブログを閉じるに至る。
*竹本忠雄のル・モンド紙会長あて公開状は、その訳文が日本政策研究センター発行の『アンチヤマトイズムを止めよ!』に収載されている。
・ANGAKOK(漢字で“小山”と印章を示している)、
「ボン・ジュール、スカイダイヴァーの言ったとおり、これでは主題逸脱で暴走だ」
・“調停者、ウミ(Umi)”が、急遽、ブログ閉鎖を宣する。
「論議は主題を離れたし、誰もが十分に意見を述べる機会を持ったので、もって私は本ブログを閉じる。ANGAKOKが書いたとおり、“このサイトはもっとずっと早く閉じるべきだった。これでは牢固たるトローリングである”」
――まとめ――
《日本の文化人宣言》は2007年6月1日の第1回発信から同30日までネット『ルジャポン・オルグ』上で丸々1ヶ月間、白熱の論議を起こして、一旦、幕を閉じた。一旦というわけは、そのすぐ2日後から、孤軍奮闘の日本擁護派、“シュヴァリエ”氏が7月2日、またも、発刊されたばかりの隔月間の著名誌『NRH』(新暦指標論)の日本特集号を取りあげて、新規の論争を喚起したからである。
ネット『ルジャポン・オルグ』での《宣言》参照数は7月末には3300件以上に昇った。これは同ネットの通常の1件参照数の百倍ちかくに当たる。しかも、形勢不利と見た提供側からブログ継続は打ち切られたが、《宣言》へのリファーは――提供側のコメント付きながら――依然、一般に開かれている。
以上、かいまみたとおり、フランスの反日は、見えない枠によってそれが作られ、大衆はその鋳型に嵌めこまれているということである。上記のブログでも、この枠が揺すぶられると、“提供者”なる黒子がわらわらと飛びでてきてそれを支えるのに大騒ぎだ。しかしその論拠たるや薄弱、ご都合主義、感情的でさえあって、とうてい知的というには程遠いものである。
しかし、我が方も、彼らの弱体はそのように透けて見えているのに、それをフランス大衆に証明してみせる反証に欠けている。他の西洋諸国も似たようなものではあるまいか。つまり、正史を伝えるフランス語(と他の言語)の本(と記事)が皆無なのだ。横暴は日本もそれを許している。急ぐべきを急げ――教訓はこれである。(竹本忠雄 2007.8.3)



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